
2月25日(火)、加古川市総合文化センター大会議室にて、映画「遺体~明日 への十日間」の上映会が開催されました。本作品は、2011年3月11日に発生 した東日本大震災からの十日間、岩手県釜石市の遺体安置所で起こったあり のままを綴ったルポルタージュ。『遺体 震災、津波の果てに』を実写映像化した 作品です。津波によるたくさんの犠牲者が出た岩手県釜石市。遺体安置所と なった体育館で、日々送られてくる多くの身元不明の遺体を目の当たりにした 釜石市職員、自衛隊、消防隊員や医師たちの苛立ちと絶望、遺族の悲しみの 中で、西田敏行演じる相葉は身元不明の遺体に、まるで生きているかのように 一人ずつ優しく声をかけていく。その姿が同じ被災者でありながら辛い役割を 担った周囲の人々にも勇気を与えていくというストーリー。 阪神大震災を経験した私たちにとって決して人事ではない内容であり、最近、 衛星放送で放送されたことや、出演者の豪華さもあり、会場はほぼ満席。当時、 報道では伝えられていなかった被災地の現状を目の当たりにし、未曾有の災害に命を落とした犠牲者を想い、たくさんの方が涙を流していました。劇中、遺体安置所で職務を行っていた釜石市職員が言った「私たちには“言葉”がある」というセリフが印象的でした。今、生かされている私たちこそが“言葉”で伝えていかなければいけない、東日本大震災を風化させてはいけないと強く感じました。一人でも多くの方に観ていただきたい作品です。 |
あとがき:絶望の先に何が見える。自然の猛威に街を奪われ、ヒトは立ち尽くすしかないのか。。尊い命を思い出を奪われ、懸命に生きる。 おもいやりとやさしさとひたむきなまでに復興を願って。緑の大地は、草木も花も笑顔も次の世代へと語り継ごう。
鑑賞コメント
加古川市在住:20代OL
映画「遺体~明日への十日間」を観て… 2011年3月11日。 あの日の映像を生中継で見ていました。 おもちゃのように流れる家、人、車。 どうすることもできず、ただただテレビの画面を見つめることしかできませんでした。 その後多くのご縁を頂き、それまで全く縁もゆかりもなかった東北沿岸部、いわゆる「被災地」の 多くの方々と知り合うことができました。 現地の方々から教えてもらう話は、テレビで報道されるような美談ばかりではなく、 自分の足で歩いた沿岸部も、復興なんてほど遠いとしか思えませんでした。 自分の生活に制限もある中で、自分にできることは何か。ずっと考えて、見つけたのが「伝える」ことでした。 防災意識のきわめて低いこの地域で、現地の話、報道されない実情。見たもの、聞いたもの。 「津波なんて来ないよ」と言って避難せず犠牲になった方たちの想いを無駄にしたくない。 犠牲になった方々、そのご家族、自治体の方たちの苦労を少しでも知りたい、知ることで少しは寄り添えるかな、 そんなことを思っていたころにちょうど出版、上映されたのがこの作品でした。 「釜石の奇跡」「釜石の悲劇」両極端な話が持ち上がる鵜住居地区がある釜石市が舞台。 今まで震災関連の映画もたくさん見てきましたが、津波の映像も海の映像もまったく用いず、 ここまで悲惨さを伝えられる作品は今まで見たことがありません。 西田敏之さん演じる民生委員の相葉さん。ご遺体に語りかけ、家族に語りかけ。ご遺体が尊厳を取り戻せるよう いろいろな提案をし続ける。それが市職員や周りの関係者の気持ちを変えていきました。 突然の人の死、一瞬にして当たり前の日常を海に持って行かれた人たちのどこにぶつけたらいいかわからない怒りや悲しみ。 そんな負の面しかないような状況でも、人は人の気持ちを変えることができる。 誰かほかの人のことを考えることができる。 いざというとき、自分でも何か役に立てるのではないか、そんなことも感じた作品でした。 どれだけ報道番組があっても、決して報道されることのない遺体安置所。 この様子を少しでも知ることで、近い将来必ず津波を伴って襲ってくる東南海・南海トラフ地震の備えにもなると思います。 2014年2月。まだご遺体の一部が見つかることもある地域ですら、捜索活動もされず嵩上げ工事が始まろうとしている 地域もあります。 加古川から東北は本当に遠く離れています。行くのは難しいかもしれませんが、このような映画を通して、少しでも 現地を知ってもらいたいと思います。ご招待、本当にありがとうございました。
加古川市在住:30代主婦
映画「遺体~明日への十日間」を観て… 2011年3月11日は、まだ浅いながらも春の気配があちこちに漂う、いつもの金曜日だった。昼下がり、そろそろ小学生の子どもたちが下校し始める時間帯に、船酔いに似た揺らめきを感じ、 それが遠く離れた東北の地 を襲った地震だとわかったのは、常軌を逸したテレビの報道からであった。 魂ここにあらずで、ふらふらと我が子を迎えに外に出たまでは覚えている。 そしてつきっぱなしのテレビをただただ呆然と眺めるしかなかった、、、、それがあの日の記憶である。 本作品は、震災の被害の大きかった岩手県釜石市の情景を、あるジャーナリストの取材をもとに映画化したものだそうだ。 タイトルとモチーフを聞いただけで、あらかたのストーリーは想像できるので、キャスティングも含め、 あえてなんの予備知識 も入れずに上映の席に着くことにした。 実際に震災に遭われた方々への配慮もあってか、海側の街を壊滅状態に陥れたという津波そのものが映像化されることはなく、 街の様々な立場の方に焦点を当てることで、動揺であったり、役割の認識の仕方、 対応などその切り口の多面性を表現 していたところは、凝った作りだなとは感じた。 そして、次々とご遺体が運ばれてくる地獄絵図のような画面を見ながら、現実がこれ以上にどれ程過酷で、 想像を絶する日々 であったろうかと心が痛んだ。 いわゆる『大作』といわれるストーリーに慣れていると、本作品は決して衝撃的でもなければ、 心を震わせる程のクライマックス シーンもない。けれど現実というのは、こんな風に過ぎていく時間の積み重ねで、 先の見えないトンネルをただ闇雲に進むしか ない人間の姿には、けして作られたドラマなどないのだということに気づかされる。 遺体という言葉を調べてみると、『身元が判明している死者のケースはもとより、それが捜索されている対象の死者だと みなされうるケースに主に用いる。遺族の存在を通常想定できうる場合や、将来的に遺族が名乗り出てきたり 証明できたりなど して判明しうる場合である(wiki)。』とあった。 そして遺体という言葉には、そこにあるものが単に魂の亡骸という物体ではなく、尊厳を持った『ひと』として扱われることの 大切さが含まれているのだな、と認識し、あの状況においてそれを行動に移すことの出来た方々にただただ頭の下がる思いと、 人としての尊敬の念でいっぱいになった。 人は生まれてから生きて行く中で、『絶対』などということはたった一つしかないと思う。 それは『生まれたものは必ず死ぬ』 ということだけだ。 そして日本にいるほとんどの人が、穏やかに自分の最後を迎えられると思っている。 けれどあのような未曾有の災害においては、突然の死を迎えざるをえなかった方々があまりにも多く、 穏やかに荼毘に伏されることすら困難になるのだという現実が、この作品のなによりショックなメッセージであった。 今もなお、ご家族、知人友人を探しておられる方がいる中で、見つけて欲しいと望まれているご遺体も数多く存在している。 心からのご冥福をお祈りし、ただ天災が憎いと思う。