わたし to
人生を変えた恩人の一言
お墓の山石社長 山本 俊之
♪24時間戦えますか♪
バブル景気のころ、俳優の時任三郎がビジネスマンに扮した、栄養ドリンクのCMソングが一世を風靡した。♪24時間戦えますか♪という、軍歌のように勇壮なメロディーがウケて、60万枚のセールスを記録。「24時間戦えますか」はその年の新語・流行語大賞にランクインした。
かく言う私もそんな企業戦士のひとりだった。高校を中退後、営業成績次第で稼げる完全歩合制に魅力を感じ、羽毛布団を訪問販売する小さな会社に就職。数十万円もする高額な布団を買ってもらおうと、がむしゃらに飛び込み営業を続ける日々を送った。
妻と幼い子どもを養うためには、誠実にとことんやるしかない。ノルマを達成できない日は、深夜操業している工場を訪ね、従業員の女性に購入してもらったこともあった。大手企業に勤める同世代よりも高給を取れるまでになったものの、営業成績が上がるほどモヤモヤ感が膨らんだ。
訪問先で高額な羽毛布団を買ってくれたお客様。仕事とはいえ無理をお願いし、お客様は心底喜んでいただいているのか。売れた時のうれしさと高揚感とは裏腹に、心の奥のどこかで引け目を覚える自分がいた。

【営業を必死で続けろ!】
そこで思い浮かんだのが、うどん屋への転身だった。美味しいうどんを食べた時の、お客様の満足げな笑顔。高校時代にアルバイト先で手打ちうどんの打ち方や出汁の取り方を覚えていたこともあり、やる気と自信はあった。休日には各地のうどん屋を食べ歩き、半年後に意を決して社長に退職を申し出た。
「よっしゃ、気持ちはわかった」。社長はニコニコしながら話を聞き、快諾してくれたのかと思いきや、そのあとの言葉に耳を疑った。「山本君、うどん屋になりたかったら、今の営業を必死で続けなさい!」
よく聞けば、今から飲食の世界でお金を貯めるのに何年かかるのか。地域で一番美味しいうどん屋になれる腕はあるのか…。ならば、営業をしっかりやってお金を稼ぎ、それを元手にお店を出し、腕のいい職人を雇いなさい、という話だった。

♪僕が僕であるために♪
なにか狐につままれた気持ちだったが、妻にその話をすると、安堵した表情で「じゃあ、営業を頑張ったらええやん」。背中を押され、営業職を続けることにした。
数年後、訪問販売の会社は倒産。30歳で起業した石材店は2023年で30周年を迎える。営業にまい進し、今ではテレビやラジオで冠番組をもち、本業のほかに居酒屋と蕎麦屋も経営できるようになった。
昔のヒット曲をもうひとつ。♪僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない♪伝説のシンガーソングライター、尾崎豊が26歳でこの世を去ってから30年。
同じ時代を走り抜けた彼のこの歌は、営業一筋に歩んだ私自身と重なり合う。これまでも、そしてこれからも。
わたしを映す ちいきを写す ito-アイトゥー
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